熊本県人吉支部 総師範 村上華陽さん
今月の「私、頑張ってます!」は、村上由稀愛さんからバトンタッチされた人吉支部の総師範 村上華陽さんです。
「心豊かな人づくりを目指して」
私は小学3年生の頃、友達2人で由里華先生から三味線を習うようになりました。習い始めは「毎日三味線に触りなさい。」と言われ、学校帰りに毎日、由里華先生の自宅に行き、「ここはどぎゃんやったかな(どうだったかな)」「こぎゃんたい(こう弾くとよ)」と2人で確認しながら練習をしていました。
「津軽じょんがら節」が弾けるようになり本部の夏合宿に参加したことがあります。
長時間の正座で足が痺れ辛くてよく泣いていました。
でも何とか必死に頑張っていた記憶があります。
中学生になると月に一度、先生(宗家)が人吉までお稽古に来られていました。とても丁寧な指導で、厳しい時もありましたが優しさもあり、稽古中も笑顔がありました。
現在、私は由里華先生の後を継いで指導者の立場となりました。
お陰様で今年の4月には念願の「人吉球磨支部創立50周年記念公演」も開催することができました。
しかし私はまだ人として指導者として、演奏者としても未熟でいつも反省ばかりです。
宗家や由里華先生の情熱には程遠い私ですが、感謝を忘れずに心豊かな人づくりを目指して、これからも少しずつ精進していきたいと思っています。
三絃道の皆さん、いつもありがとうございます!
私は小学3年生の頃、友達2人で由里華先生から三味線を習うようになりました。習い始めは「毎日三味線に触りなさい。」と言われ、学校帰りに毎日、由里華先生の自宅に行き、「ここはどぎゃんやったかな(どうだったかな)」「こぎゃんたい(こう弾くとよ)」と2人で確認しながら練習をしていました。
「津軽じょんがら節」が弾けるようになり本部の夏合宿に参加したことがあります。
長時間の正座で足が痺れ辛くてよく泣いていました。
でも何とか必死に頑張っていた記憶があります。
中学生になると月に一度、先生(宗家)が人吉までお稽古に来られていました。とても丁寧な指導で、厳しい時もありましたが優しさもあり、稽古中も笑顔がありました。
現在、私は由里華先生の後を継いで指導者の立場となりました。
お陰様で今年の4月には念願の「人吉球磨支部創立50周年記念公演」も開催することができました。
しかし私はまだ人として指導者として、演奏者としても未熟でいつも反省ばかりです。
宗家や由里華先生の情熱には程遠い私ですが、感謝を忘れずに心豊かな人づくりを目指して、これからも少しずつ精進していきたいと思っています。
三絃道の皆さん、いつもありがとうございます!
更新日:2025/08/28