長崎県松浦支部 師範 村上由梨世さん
今回の「私、頑張ってます!」は、村上華陽さんからバトンタッチされた松浦支部の師範 村上由梨世さんです。
9月10日(水)には佐世保インターナショナルレディースクラブの定例会で演奏されました。
■当日の演奏の模様はこちら(佐世保インターナショナルレディーズクラブfacebook)>>
「三味線を生で聴くのは初めて。ロックみたいでとてもかっこよく、楽しめた」「こんなに盛り上がるとは、予想以上」など大変喜ばれ、演奏の模様は長崎新聞に掲載されました。
「宗家に出逢って」
私が三味線に出会ったのは39歳の頃でした。
私たちは転勤族で佐世保に転入してきた時、そこで知り合った友達から「公民館活動の生涯学習教室で三味線をしているのでこない?」と誘いを受け、三味線のことは何も知らなかったのですが、ただ友達がほしく、習うことにしました。
教室の先生は奥園喜久栄(村上由香栄)先生といわれ、初代家元から習っておられました。
最初のお教室が楽しかったのか、私は自然と三味線に興味を持ち始めたのです。
奥園先生が辞められたあと本部より先生が見えられるようになり、宗家(二代目家元)との出会いになりました。
その頃になると私は地元である松浦へ戻っており、月に1度、佐世保教室へ通っていました。最初、宗家は近寄り難く、厳しい印象でした。
でも宗家は、もともと音楽が苦手な私に、優しく丁寧に熱心に教えてくださり、そのお陰で今の私があります。
また、嬉しいことに私の娘も三味線に興味を持ち、宗家のお稽古を受けるようになりました。
乳飲み子を抱えてのお稽古は、想像しただけでも賑やかでしたが、宗家は嫌な顔ひとつされず自然に子ども達を三味線の世界に引き込んでいかれました。
そのお陰で、娘と孫3人は宗家が大好きで、今も村上三絃道に親子3代お世話になっております。
私の人生は、村上三絃道なしでは語ることができません。感謝でいっぱいです。
この思いを大切に、これからは三代目家元と一緒に、残り少ない人生を頑張って行こうと思っております。
私が三味線に出会ったのは39歳の頃でした。
私たちは転勤族で佐世保に転入してきた時、そこで知り合った友達から「公民館活動の生涯学習教室で三味線をしているのでこない?」と誘いを受け、三味線のことは何も知らなかったのですが、ただ友達がほしく、習うことにしました。
教室の先生は奥園喜久栄(村上由香栄)先生といわれ、初代家元から習っておられました。
最初のお教室が楽しかったのか、私は自然と三味線に興味を持ち始めたのです。
奥園先生が辞められたあと本部より先生が見えられるようになり、宗家(二代目家元)との出会いになりました。
その頃になると私は地元である松浦へ戻っており、月に1度、佐世保教室へ通っていました。最初、宗家は近寄り難く、厳しい印象でした。
でも宗家は、もともと音楽が苦手な私に、優しく丁寧に熱心に教えてくださり、そのお陰で今の私があります。
また、嬉しいことに私の娘も三味線に興味を持ち、宗家のお稽古を受けるようになりました。
乳飲み子を抱えてのお稽古は、想像しただけでも賑やかでしたが、宗家は嫌な顔ひとつされず自然に子ども達を三味線の世界に引き込んでいかれました。
そのお陰で、娘と孫3人は宗家が大好きで、今も村上三絃道に親子3代お世話になっております。
私の人生は、村上三絃道なしでは語ることができません。感謝でいっぱいです。
この思いを大切に、これからは三代目家元と一緒に、残り少ない人生を頑張って行こうと思っております。
更新日:2025/10/17
