宮崎本部 師範 村上由理京さん
今月の「私、頑張ってます!」は、宮崎本部の師範・村上由理京さんです。

由理京さんは宗家の生徒第1号です。公演メンバーとしても活躍されています。
「宗家への手紙」
小学5年生のある日、母から「高校生の女の子が三味線教えるらしいけど習ってみる?」そんな一言から私は三味線を習う事になりました。
宗家(二代目家元)の一番弟子となったのです。
毎週土曜の午後、宗家が自転車を押して帰ってくるのをまだか、まだかと待っていたのを今でも思い出します。
徐々に子ども達も増えていき、由宇月会として色々な舞台に立たせていただき、宗家の隣で演奏できるのがとても嬉しく感じていました。
しかし、宗家に憧れて入った宮崎女子高等学校(現在の宮崎学園)の2年生のある日、母から「三味線辞めるから!」と言われ、それから三味線のお稽古に行くことは許されませんでした。
50歳をすぎた頃、共通の知人を通じて、また宗家にお会いする事ができ、34年ぶりのお稽古が始まりました。
昔の三味線を張り替え、やっと自分の願いが叶った気持ちでした。
お稽古を新たに始めた後の初舞台では、三味線を急に辞めさせた母も涙を流して喜んでくれました。
病の為、指導は二代目から三代目へお稽古が変わりましたが、それでも宗家は私の顔を見にきてくださいました。
「あんたと孫の話ができるなんて思わなかった」と。
師範に昇格する時も背中をたくさん押していただきました。
宗家、私は今楽しく三味線が弾けています。ちゃんと笑ってますよ。
村上三絃道の為に微力ではありますが、心より精進して伝統ある津軽三味線を演奏してまいりたいと思っています。
小学5年生のある日、母から「高校生の女の子が三味線教えるらしいけど習ってみる?」そんな一言から私は三味線を習う事になりました。
宗家(二代目家元)の一番弟子となったのです。
由理京さん(写真左)
宗家(写真右)
毎週土曜の午後、宗家が自転車を押して帰ってくるのをまだか、まだかと待っていたのを今でも思い出します。
徐々に子ども達も増えていき、由宇月会として色々な舞台に立たせていただき、宗家の隣で演奏できるのがとても嬉しく感じていました。
しかし、宗家に憧れて入った宮崎女子高等学校(現在の宮崎学園)の2年生のある日、母から「三味線辞めるから!」と言われ、それから三味線のお稽古に行くことは許されませんでした。
50歳をすぎた頃、共通の知人を通じて、また宗家にお会いする事ができ、34年ぶりのお稽古が始まりました。
昔の三味線を張り替え、やっと自分の願いが叶った気持ちでした。
お稽古を新たに始めた後の初舞台では、三味線を急に辞めさせた母も涙を流して喜んでくれました。
病の為、指導は二代目から三代目へお稽古が変わりましたが、それでも宗家は私の顔を見にきてくださいました。
「あんたと孫の話ができるなんて思わなかった」と。
師範に昇格する時も背中をたくさん押していただきました。
宗家、私は今楽しく三味線が弾けています。ちゃんと笑ってますよ。
村上三絃道の為に微力ではありますが、心より精進して伝統ある津軽三味線を演奏してまいりたいと思っています。
更新日:2026/03/03
