宮崎本部 師範 村上由宇順さん

久し振りの「私、頑張ってます!」は宮崎本部の師範 村上由宇順さんです。

由宇順さんは40代になった頃、当時20代の宗家に三味線を習われていました。三味線にゴルフに毎日忙しくされています。

今年は「月に1回ボランティアの演奏に行く!」と目標を立てられました。
三味線に対する想いを綴った手紙を預かりましたのでご紹介します。

「三味線とわたし」

私が生まれ育ったのは、都城市志和池という田舎で7人兄弟の5番目。菓子製造と薬店を営む家でした。

都城地方では祝いごとがあると必ずと言っていいほど、三味線と太鼓、手踊りが入り賑やかに過ごします。

私の家にはゴッタン(木で出来た三味線)があり、母が我流で弾いていたのを見様見真似で覚え、宴会では「九州炭坑節」「鹿児島小原節」「牛深ハイヤ節」を弾かされていたのが三味線とのなれ初めです。小学生の頃でした。

誰にもいろいろなドラマがあると思いますが、私は18歳で警察官だった夫と結婚、19歳で第1子、21歳で第2子を授かり、生活は厳しいものでした。
厳しい生活の中、24歳で運よく野村證券に採用され、2人の子どもを保育園に預け、69歳まで営業一筋でした。

営業の世界は見えない商品を売るわけなので、誠実に自分を認めてもらうのがカギでした。
自分が落ち込んでいると、アクティブにするために車に乗ると必ずテンポのいい「じょんがら節」の曲をかけ、テンションをあげていました。

私の人生を支えてくれた村上三絃道には、切っても切れない深い深い絆を感じ、感謝しかありません。

更新日:2025/05/30