日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)

日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)

 

 

2016年11月4日(金)イタリア・ローマ日本文化会館にて

日伊国交150周年記念祭 天正遣欧使節主席正使伊東マンショ ローマ教皇公式謁見四三一年顕彰記念祭が、日本国外務省、国際交流基金(日本政府機関)、在ローマ日本文化会館の協力のもと盛大に執り行われました。

 

団長を務められた日伊協会の羽田会長と記念撮影。
宮崎ブーゲンビリア空港から羽田へ、そして国際線でイタリア・ローマに向かいました。
CAさんより激励のメッセージカードと飛行機の風船のプレゼントをいただき、感激しました!
海外で演奏会をする場合はカルネ申請を行います。
今回も無事に通過しました。
会場の日本文化会館。
 

 

日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)  

駐在イタリア日本国大使の梅本和義様ほか、宮崎県、宮崎市、西都市、イタリア各地からも多数の来賓あり、裏千家による呈茶、禅の話、鹿児島県立図書館の原口館長による「伊東マンショら四人の少年たちが歴史を変えた」の講演、そして、日本の伝統芸能などで日伊国交150周年を祝いました。

 

日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)   日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)
着物に着替えて準備万端です!  
日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)   日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)
   
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会場では裏千家による茶会が行われました。  
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また、ステージでは曹洞宗による禅の話の講演が行われました。  
日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)   日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)
いよいよ式典開始です!
羽田会長がご挨拶されました。
 
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続いて、元イタリア共和国特命全権大使のトリッツーノさんがご挨拶されました。  

 

村上三絃道からは家元 村上由哲と師範の村上由宇月が出演し、橘太鼓響座の皆さんと共演を果たしました。

 

本番前に記念撮影。力を合わせて日本の伝統の音楽を届けます!

 

●日伊国交150周年記念祭  「演奏プログラム」

1.響打ち 太鼓:岩切邦光、山床海

※MC(伊東マンショに捧げる歌の紹介)

2.伊東マンショに捧げる歌「ミゼレレ」「刈干切唄」
  三味線:村上由哲
  唄:村上由宇月
  太鼓:岩切邦光
3.夜明け
  太鼓:岩切邦光、山床海

4.リベルタンゴ
  三味線:村上由哲、村上由宇月
5.ひむか若衆(いもがらぼくと)
  唄・三味線:村上由哲
  横笛・三味線:村上由宇月
  太鼓:岩切邦光、山床海
6.天地創造
  三味線:村上由哲、村上由宇月
  太鼓:山床海


 

●出演者

村上三絃道  村上由哲 (三味線・唄)
村上三絃道  村上由宇月(三味線・唄・横笛)
響     座  岩切邦光 (太鼓)
響     座  山床海 (太鼓)

 

日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)  

演目の一つとして、伊東マンショの時代を遡り、グレゴリオ聖歌「ミゼレーレ」と宮崎民謡の「刈干切唄」を織り込んだ「伊東マンショを讃える歌」をこの日のために創作し初披露。
「ミゼレーレ」をイタリア語の原語であるラテン語で由宇月が歌い上げ拍手喝采をいただきました。

これは、宮崎県立美術館で行われていた伊東マンショ肖像画展を訪れた家元が飛田洋館長との雑談の中で生まれたもの。
館長のご協力を賜り、実現することが出来ました。

 

「伊東マンショに捧げる歌」

伊東マンショは1569年頃宮崎県の都於郡(とのこおり)に生まれました。
マンショが「天正遺欧使節」としてヨーロッパに旅立ったのは13歳。
マンショの遠縁にもあたる豊後(大分市)のキリシタン大名・大友宗麟の名代として使節の正使を務めました。
イタリア語の言語であるラテン語による祈りの歌・グレゴリオ聖歌「ミゼレレ」は、豊後の子ども達が教理学校で習った聖歌を帰る道々で歌い、それを聞いた大人たちも耳から聞いて覚えて歌っていたという いわゆる当時のヒットソングのようなものです。
マンショも歌っていたことでしょう。
「我が哀れをみたまえ、その大いなる慈愛で」と歌われます。
その「ミゼレレ」と神話の故郷・高千穂町に伝わる「刈干切唄」を織り込んだ記念祭のために制作された曲です。

 

〜イタリア語訳〜
“Canto dedicato a Manscio Itoh”

Itoh Manscio naque nel 1569 a Tonokori in Miyazaki.. Aveva 13 anni quando parti? perl’Europa formando la delegazione diplomatica. Lui era il capo delegazione sostituito del daimyo cristiano Ohtomo Sorin di Bungo(attuale Oita)che era un parente lontano del Manscio.
Il canto gregoriano“Miserere”era molto popolare che i ragazzi del seminario cantavano anche fuori scuola e cosiì anche gli adultui imparavano a memoria e lo cantavano. Credeiamo che anche Manscio lo cantasse.
Si canta“Miserére mei,Deus,secùndum magnam misericórdiam tuam.”È un brano creato per questa celebrazione mettendo il canto“Miserere”insieme al canto di lavoro folcloristico del paese nativo delle mitologie giapponesi Takachiho

 

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日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)  

また、会場となった日本文化会館は、国際交流基金が世界18カ国に建設されているものです。
ローマは1962年に世界で初めて作られ、演奏会が出来るようホールも設置。
ただ音響設備が不十分のため音質を考慮し、三味線はマイク無しの演奏となりました。
和太鼓は容赦無い大音量の激しい音。三味線の音と和太鼓が綺麗に交わるよういつも以上のバチさばきで臨みました

その気迫に会場からは大きな拍手。
日伊協会の羽田正治会長も感無量で涙ぐんでおられました。

 

日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)   日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)
響座の皆さんの力強い太鼓が響きました。   響座さんのパワーに負けないよう、バチにも力が入ります。
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  ひむか若衆(いもがらぼくと)では、横笛を由宇月が担当。
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  会場の皆様にも日本の音が心に響いたようで、大きな拍手をいただきました。

 

夜には、ローマ市内のレストランで、レセプション・ディナーが行われ、交流会を楽しみました。

 

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演奏を終えて一安心の家元と由宇月。  
日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)   日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)
 
美味しい料理をいただきながら笑顔で記念撮影!

 

式典の模様はテレビ宮崎の情報番組「U-doki」、ニュース他、NHK、宮崎日日新聞でも取り上げられました。

 

日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)   日伊国交150周年記念祭 (イタリア公演)
テレビ宮崎の佐々木六華アナウンサーもインタビューに来られていました!   現地の方にもインタビューされていました。

 

3年前にドイツのジャパンフェスティバルに招聘して下った大矢健治社長も来訪され、来年はヨーロッパでの演奏要請をしたいとのことでした。

 

写真左から4番目大矢健治社長。ありがとうございました!

 

各方面でたくさんのご縁をいただきましたこと、心より感謝致しております。

 

式典にて禅のお話をされた曹洞宗の皆様
株式会社テレビ宮崎の渡邊道徳社長
見山靖代様
宮崎大学医学部附属病院長の鮫島浩先生
宮崎県総合政策部長の永山英也様
イタリアで日本語を学ぶ皆さん
記念講演を担当された鹿児島県立図書館館長の原口泉様。
写真左から2番目駐イタリア日本国大使の梅本和義様。
写真右から2番目ローマ日本文化会館の高須奈緒美館長。
式典の関係者の皆様。
ご支援・ご協力ありがとうございました!

 

 

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