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そもそも、私が津軽三味線という存在を意識したのはたしか昭和46年初頭、NHKテレビで映し出された“高橋竹山の人生”であった。
当時は転勤先の大阪で闘病生活を余儀なくされ、いささか失意の時を過ごしていた頃だったので、そのことをよく憶えている。
竹山が奏でる三味線は強烈で、バイタリックで、リズミカルであった。弾いていると思うと叩きつけ、音色は太かった。それでいて一貫して漂っている悲しみの籠った哀愁は、竹山という人が貧困と盲人の世界を生き抜いてきた人生そのものが滲み出ていた。
以来、津軽三味線の演奏はとくに興味をもって見聞きしてきた。
しかし、生来足の重きがゆえに私がライブの世界に引きずり込まれたのはごく最近で、それは平成17年度宮崎県民芸術祭参加作品村上三絃道特別公演「太陽じょんがらコンサート」だった。
実は家元との出会いは、その約3年前私が顧問をしている「ライブネット会」での会合であったが、当時から家元の感度は鋭く、勉強熱心なのには本当のところ感心していた。
それら普段の努力の集大成かどうか、太陽じょんがらはあの津軽の匂いがする三味線とラテンの独特なリズムを融合させたもので、その冴えた撥さばきは熱気溢れるものであった。
それこそ“新しきこと”“楽しきこと”“珍しきこと”が演出されたものであった。
先日、我が社の宮崎ケーブルテレビ10周年記念パーティでも、スタンリー・ギルバートのジャズ演奏のあと披露してもらったが、全く違和感なく、出席者から“太陽じょんがらはモダンジャズとフィーリングが同じ”“ロックの世代だがどれも全く抵抗ない”との評を受けたのは言うまでもない。
それは、まさしく初代家元から受け継いだ「伝統音楽を通じて暮らしと人生に夢を」との現家元の熱い思いが現代人のもつ荒廃感や孤独感に訴えているからに他ない。
ともすれば、現家元の新しい表現に向けての試行錯誤の努力は今後も多くの人々の共感を得ることは間違いない。
なお一層の活躍を期待したい。
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